頭が良いとは何か ①学力の定義

頭が良いということは、学力が高いだけではない。

頭の良さを表す指標は、今思いつくだけでもコミュニケーション能力,表現力,知能指数(IQ),論理的思考能力,学力,マネジメント力,思考体力が存在し、これら全ての要素の相互作用又は積で表されると考える。(もう一つ大事なこととして、それぞれの要素は完全に独立はしていないこと)

この記事では、東大に通い、トップティアの戦略コンサルティングファームから内定を貰い、IQ138もあり事業も経営している俺が、MECEに切り分けられない「頭の良さ」という要素を、出来るだけ最小単位に分解して考察しながら、自分の頭の良さを示していく。

今回は、これらの要素の中で世間一般に最も勘違いされがちな“学力”の定義とそれが高いと何が嬉しいのか、学歴との関連性についての考察を紹介する。

 

【要約】

・学力は知識量と学習能力の相互作用で決まる

・知識量があれば学習量は少なくて済むし、学習能力があれば学習すれば未知の物を容易に理解できる。

・学力が高いことの最大のメリットは分からない事も大抵調べれば理解できること、そもそも分からない事が人より少ないこと。

・つまり、自分が挑戦するフィールドを選ぶことができるし、やれば大抵の人に勝てる。

・高学歴→頭が良いは間違いで、同様に低学歴→頭が悪いのも間違い。高学歴が担保するのは、頭の良さの中の学力の高さ一点のみ。

 

(1)学力の定義

・自分なりの学力の定義は2つの要素に分かれていて、”知識量“と”学習能力“である。学力を表すのはその二つの要素の積で表されると考える。

 

学力={知識量,学習能力}

 

・学力を表す1つ目の要素は,”知識量”で表される。これは学校の枠組みで言えば学問をどれだけ追及しているか,学校の枠組みから外れれば知識をどれだけ有しているかで決まる。

ここでいう知識量の質は関係ないどれだけ物事を知っているかという感覚だけを表す。知識の質やそれを適切に取捨選択する能力はまた別の指標の倍率で決まるからだ。

 

・学力を表す2つ目の要素は,“自分にとって未知の物を学習する能力”で表される。単純に分からないもの(法律や何かの物理法則など)を資料や何かがあれば理解できる能力の度合いのことである。

 

・そして前提として、ここでは学力があるかどうかだけを議論していて、それを適切に引き出す能力については議論していない。また、学習能力の効率もまた別の指標で決まるのでここでは議論しない。感覚的には難易度の高い物を理解できるようになるか

 

(2)学力があるとはどういうことか

・学力のある人の例を示すために、以下の数式を用いる。

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“知識量からみた学力“

・これは量子力学におけるフェルミの黄金率を表す数式である。例えば、「量子力学」の知識量がある人はこの数式自体とそれが表す意味を知っているかもしれない。「数学・物理」の知識量がある人にはこの数式自体は知らないものの、部分的にそれが表す意味(例えば、ℏωが摂動を表し、<>の項が何らかの確率を表し、δの項からエネルギー遷移の保存則が存在している雰囲気)を感じ取ることが出来るかもしれない。そして当たり前だが、その辺の知識が無い人間には全く意味の分からない数式である(実際、自分も大学院で初めてこの数式を見て意味が分からなかった)

単純に知識量は知っているか知らないかを表す量である。大学入試は全受験者共通の3科目~5科目の知識のフィールドを設定して、その中で知識量を持つ人間(もちろん、知識を適切に引き出し組み立てる力や論理的思考能力も測ってはいるが)を選抜する。

 

“学習能力”から見た学力

上記の様な知らない事象に遭遇した時に、何らかの解説や資料からそれを理解できるのが学習能力の高い人である。

・理解できる難易度の高さが感覚的に学習能力からみた学力の高さを表す。

・大学入試では、共通の科目を設定し、高校3年生までの限られた時間で、学習能力が高い人が効率良く知識量を獲得して、選抜される。

 

(2)のまとめ

・知識が無くても学習能力が高ければ時間さえ掛ければ未知の事象を理解することができるし、学習能力が高い人はそもそもその時間も短い。学習能力が高く無くても知識量があれば、未知の事象を説明する既知の事項が多いため、相対的に学習時間は減る。究極、知識量が人並み外れている人間には学習が殆ど必要ない。

 

(3)学力が高いと何が嬉しいのか?

目の前に分からないことがあっても、調べたり勉強したりすれば分かるという自信に尽きる。知識量がある分野ならそもそも分からない事も少ないし、無い分野でも学習能力が高ければやる気と時間が解決してくれる。これほど素晴らしいことは無い。

これの意味するところは、挑戦するフィールドをいつでも選ぶことが出来るということだ。この自信があれば、投資に挑戦してみたりEC事業に挑戦してみたり、教育市場調査のインターンに参加してみたりと、自分が活躍するフィールドをこちらが決めることができるのが大きなメリットである。どうせ詳しくないから止めようという思考は消え、逆に俺が精通すればその土俵にいる大体の人間に勝てるという自信がつく。実際に学力があれば大体の人間よりも理解を深めることができるので、自信というか定理と化して、やる気さえあれば大体勝てる。

 

・最高学府の東大院に専門を全く知らない量子力学へ変更しても、まあなんとかなるという気持ちだったし、実際なんとかなった。水の音の研究をしていたのに急にレーザー分析を研究することになっても、時間がたてばなんとかなっている。

・本当に興味のない学問を学び続けて6年目になるが、モチベーションは興味の無いことでも最高学府を卒業出来るほどの学力の証明に他ならない。この先、興味のあることを勉強していく自分が持つポテンシャルが楽しみで仕方ない。

 

 (4)学歴が高い→頭が良いということではない

高学歴⇒頭が良い というのは一般に最も勘違いされていることであるが(それが高学歴からしたら便利な部分でもある)、実際にはそうではない。高学歴であることは頭の良さを構成する数ある要素の内、学力が高いということだけである。

・大学入試は高校範囲までの限られた科目フィールドの学力測定であって、それ以外のフィールドに関しては全く測定されていないし、頭の良さは冒頭で述べた通り複数の要素からなる。

同様に、学歴が低い→頭が悪いも成立しない。中卒や高卒でも頭が良い人間なんて沢山いるし、それに負けてる高学歴の人間だっている。学歴が低い人間は勉強してこなかったOr勉強に強い嫌悪感を示すだけで、勉強すればそれなりの学歴を取得する人も多数いると思う。

・学力だけ高い人間は、知識量だけ肥大する。得た知識をどのように構成して、引き出し、活用していくかが全く分からない。高学歴という成功体験しか積めなかったせいで、そこのみに報酬回路が形成されてしまう。目の前の情報に対し間違いを探し、それを批判することだけにエネルギーが行ってしまう。

・大事なのは、得た知識をどのように運用していくか、知識と知識の繋がりを見出し、新しい知見を形成することができるか。高学歴の学生にありがちなのは、やたら成績に強い拘りを持ち、そうでない人を見下すことだけが生きがいになる傾向があると思う。いつまで貴方はセンター試験の話をしているんですか?他に成功した体験とかありますか? 

 

(5)最後に

俺は10000人に1人の学力の高さを誇るわけではないが、300人に1人の学力の高さは持っているし、それは最高学歴が保証していると思う。そして、「頭の良さ」を構成するコミュニケーション能力・表現力・知能指数(IQ)・論理的思考能力・学力・マネジメント力・思考体力(その他)の、どの要素も別に10000人に1人の高さを持っているわけではない。

一方で、この中の3~4つの要素は300人に1人の高さを誇りそれを証明する実績もついている。他の要素も平均よりは高いから、結果的に私は頭が非常に良い。天才である。